「自己への配慮」

ドン底にいたとき、こんな言葉をもらった。

(以外コピペ)

 

あなたは素敵な世界を知っている。それはつまり、豊かな言葉を「持っている」ということだ。料理や音楽、読書といった多様な彩りの宝庫ゆえに、必然的にその反対であるバッドな創造物もたくさん持っている。

たとえば物事を深くまで省察できる人というのは、誰にも見つけられない幸福をそこにみることができる。だがその反面として、誰よりも痛みや苦しみの「豊かさ」をそこに見出してしまう。

精神の大いなる才能に恵まれた人は、その繊細さゆえに、苦痛や苦悩に対しても感度が高い。すべての方向性において生き生きとした躍動に満ちているゆえ、喜びや嬉しさといった心地よい感情ばかりでなく、苦痛も豊富であるということだ。

だからこそ、こうした己の特性をよく知り、そして「自己への配慮」を第一に優先しなければならない。

それを怠ってしまうと、たとえばあなたのような才能ある人にとっては、この人間世界というのは非常に生きにくく、結局ネガティブな創造ばかりが発揮されることになる。

やがて他の人たちから離れて、疎遠になっていくだろう。己があまりに多くを備えているゆえ、他の人たちから見出せるものがほんのわずかであり、基本的に他者との関係は味気なく、もの足りず、むしろ胸のむかつきしか感じられなくなるからだ。

 

(コピペ終わり)

この日からだと思う。私は世界に対して心を開くようになった。Twitterにも戻ってきた。ひたすら引きこもり心を閉ざす期間が終わった。

この文章を私にあてて書いてくださった方の言うように「自己への配慮」をしっかりしていきたいと思う。

今はまだ引きこもっていることがほとんどなのだけど、暖かくなる頃までには庭を整え花を愛でたり月の夜にブラブラ散歩したりできるようになりたい。

他には……家でできること!

そうだな、美味しいものを食べよう。今朝食べたカヌレは美味しかった。音楽も楽しもう。判で押したようにバッハばかり聴くのではなくて誰かのオススメの音楽をどんどん聴いて楽しもう。読書もできる。未読のものが山になっている。私の好みとは違う夫の買った本もたくさん。片っ端から手を付けてみよう。面白い世界が広がっているに違いない。

……と、こうしているうちにもう午後だ!なんだかんだで私は幸せに暮らしているなあ。ありがたやありがたや!