こだわりから解き放たれて

昨日から、生まれた時から入っている新興宗教のお祈りを母と一緒にやるようになった。

別にその宗教に戻るつもりは無いし両親がこの世を去ったら脱会するつもりでいるのだけど、ふと、嫌うのも避けるのもこだわり(自我の執着心)のひとつだな、と思えてきて親孝行のつもりでお祈りをした。

何かが叶う訳でもないと思うけれど、母の背中を見ながらお経を唱えるのはなかなか楽しかった。そうか、わたしはまたひとつ、自分という鎖から自由になったのだな。そう思った。

私は両親がまだ健在で一緒にご飯を食べたりお茶を飲んだりできる事が嬉しい。はあ、本当に幸せ者だな、私は。ちょっと涙腺が緩みそう。

この穏やかな心境こそ、所謂「功徳」ってやつなのかもしれない。こんな日が来るとは思っていなかったので非常に嬉しい。いま、これを書きながら西陽の当たるバルコニーに出てきた。ありがとう、という言葉が、自然に、唇からこぼれた。