ルーツ

誰にも過去があり、背負っているものを胸にしまい、日々を生きている。
時代は違えども。

ひとはその生きている時代の常識、慣習、暗黙知、などから多大な影響を受ける。そしてそのこと自体に気づくこと、客観視することはむつかしい。
100年後のひとびとは、2019年をどのように見るのだろう。

母方の祖父母。カフェーの息子とデパートの売り子として青春時代を過ごし、戦争によって人生が一変した。そして母はアルコール依存症の父親と弟二人、長女という育ち方の中で何を思い、どのような気持ちで信仰の道に入ったのか。

一方父方の祖父母。祖父は厳格な人。農家とは言えその村ではおそらく大きな家で昔はそれなりに格式のようなものもあったのだろう。だから東京からお嫁さんをもらった。そして七人の子供を設け、三男である父が17歳の時に亡くなった。ガンで。

後妻に入った祖母は、とても穏やかで芯の強い人だった。父は、多感な時期に母親を失って、修学旅行中には母親を案じながら長崎をまわったという。

南国慕情。

母を失って後妻をすぐに受け入れられるわけがない。だからすこしグレかけたのだろう。そこで父も信仰の道に入った。たくさんの本を読んだ。

そして、父と母は出会った。宗教団体の中で。
恋愛結婚だったという。
会合の帰りにバイクで送ってもらったのが初めてのきっかけらしいことも聞いた。
どこへ捕まれば?という母に、自分につかまればいいとこともなげにいう父。なんだか想像がついて少し可笑しい。微笑ましい。

母は、父から見たら世間知らずのお嬢さんに見えたことだろう。気の利かないところはあっても、ねっからの人の良さ、守ってあげなくては心配なところ。そしてスタイルの良さ。(なぜ私は似なかったのか?!笑)

父はその頃は太っていて黒縁メガネ。わたしの知っている父とは違う。わたしの知る父は痩せていてスマートでなんでも出来るスーパーマンだった。

母は、父方の家にあまり行きたくないようだった。こどもたち、わたしたちにもそれはわかった。

わたしたちは母がひどい目にあう。いじめられる。不憫だと、正月が来るたびに泣いた。

でも、実際は良い人たちだった。

たしかに長男の嫁で女主人のおばさんは母にとっては嫌な人だったかもしれない。横浜から嫁いできて気位が高く、いとこの二人もわたしとはなんだか付き合いたくないようだった。距離があった。

新興宗教をやっている一家ということで、そして躾の行き届かないダメな長女という目で見られていたことだろう。

だからわたしは余計に母方の祖父になついた。

あの、高台の家だけが、呼吸のできる場所だった。

そのおかげで生きることができた。実際に小学生の時が一番人生で辛かったと思う。

あれから30年以上が過ぎ、今は?とても幸せ。

たくさんの波乱があった。夫とも出会ったその日に付き合い始めてアウトロー過ぎる20代を送った。

病んでいた時期、引きこもっていた時期、祖父母と過ごした実家での日々、あれも良かった。ひどく迷惑をかけたけど良かった。

死ぬ前の会話。最後の、多分私が何気なく聞いた?いや、なぜか泣きたいような気持ちできいた祖父への言葉。

おじいちゃん、幸せ?と。

「今が一番幸せだよ」

そのことを教えてくれた妹。

わたしには記憶がないけれど、わたしはそれを聞いて泣きながら祖父にキスをしたのだそうだ。

あの祖父にしてこの孫。すこし妹は引いていたらしいけど、わたしらしいとおもう。祖父の血を確実に引いている。わたしはそれを誇りに思う。

祖父からは、享楽的で明るいところ。

声。

音楽を愛し、芸術を愛し、大地を耕すことと生命を育むことに対する熱意。

誇り高さが嵩じてとっつきにくい部分とあっけらかんとして細かいことにこだわらないという二面性は、たぶん母方と父方の血の混ざった結果なのだろう。

もちろん欠点もたくさん。

でもそれはいい。もういい。

父に関しては、40を超えても実の父に自分を認めてもらいたくて奔走していた姿を思い出す。

母については、機能不全家族で育った自覚のないまま、とにかく四人の子供を育てること、信仰に励むこと、そういうことに素直に真面目に取り組んでいた様子を思い出す。

父と母の関係は必ずしも良いとはいえなかった。

でも母は、文句を本人に言えない。父は、不機嫌になった時話し合うということができない。ただ、黙り込むだけ。一週間でも。

夫婦の仲が悪いことでわたしたちきょうだいはそれぞれ歪んだ。でも、だから何?と思う。

父も母も、そうならざるを得ない理由があった。

それぞれの祖父母も、そうならざるを得ない理由があった。

そして、もちろん時代、というものが。

時代の呪縛からは誰も逃れられない。

過去の偉人ですら、皆そうなのだ。

どんなに高潔な人物であっても。

いわんや凡人をや。だ。

だから、つまりは、すべて良し。

私がこの先誰かに嫌な思いをさせたり、人として卑怯だったり、怠惰だったり、自分勝手だと非難されるような行いをしたとしても、わたしにもそうせざるを得ない理由がある。

これは決して自己正当化でも、言い訳でもない。

己の信念に従って生きる決意と、対立やひとから嫌われることへの恐怖に打ち勝つ勇気。

いつも笑って生きて、いい人生だった!今が一番幸せだよと言って最期の時を迎えるための。

わたしは、わたし自身の主人であり、それと同時に、神?宇宙?自然?地球?呼び方はなんでも良い。とにかくこの身体を借りて生まれて生きてきた、砂漠の砂粒のようなものだ。

ちっぽけという意味ではなく、一粒がなければ砂漠は存在し得ないだろう。

だから、こういう存在として生まれてきたことを喜び、寝て起きて出して食べて笑って感謝して明日を楽しみに布団に入る。これの繰り返しをすること。

これでいい。

ただでさえ、楽しいことがてんこ盛りなのだ。まだ経験していないこと、つまらない偏見で避けてきたことがたくさんある。

寝ているときに見る夢だって楽しみ。起きているときに読む本、楽器、朗読、植物の世話。全てが新鮮で、ああ!生きていてよかった!とこころから思う。

だから、ありがとう。

100年後200年後、わたしの魂がもし生まれ変わっているのならば、この手記を発見して読んでくれたまえ。

そしてあなたの時代の解釈を、夢の中できかせておくれ。