気が重い

調子が下り坂なところに母からの電話。寝ていて出られなかったのだが用事は新興宗教の機関紙を取ってくれという話だとわかっているのでコールバックしなかった。
しんどいとき、宗教の機関紙はキツイ。母にしか話せないこともあるのだがいまはキツイ。
どうしてうちの両親はよりによってこんなものに人生を捧げてしまったのか。そして、どうして自分だけはその宗教に素直になれなかったのか。
そう。
私にはその新興宗教が正しいか正しくないかはどうでもいいのだ。ただ親族との仲を円滑にするために自分ものほほんと信じて活動できていれば幸せだっただろうな、と思うのだ。
これは良くない考え方だとうっすら思う。
この新興宗教界隈では大人になってから洗脳が解けて果敢に脱会して他の会員にも呼びかけている人がたくさんいる。私は幼少の頃から嫌気が差していたのに抜けようとも活動しようとも思わずどっちつかずで生きている。夫はそんなのどうでもいいじゃんと言う。しかしそうだろうか。きちんと自分のスタンスを説明して今後どうするかはっきりさせる義務が私にはあるのではないか。
とても気が重い話だ。
今の私には荷が重すぎるので保留。