親との関係

うちの両親はとある新興宗教団体に所属していて、私は生後数カ月で入会。私の名付け親はその宗教の教祖的存在の人です。

幼い頃から会合に参加せねばならなかったのが嫌で仕方なく、なんとかしてサボれないか、いやでもそんなことしたら罰があたって無限地獄に落ちるぞ!と葛藤する毎日でした。

小学校のとき、学校全体が盛り上がって参加していたお祭りにはたったひとりだけ、不参加でした(そしていじめられた)。修学旅行では神社仏閣に入るのはタブーなのでバスの中で待機していました。

こういう環境で育ってきたので早く親元を離れたい気持ちが強くて必死で勉強しました。その宗教の関係の大学なら行ってもいいと言われたので、英語だけで入試が受けられる推薦枠でなんとか滑り込みました。

17歳で親元を離れてからは授業ほとんど出席せず、ダンスの練習に明け暮れる日々を過ごしました。大学三年でサークル内の人間関係が悪くなり、完全に学校とは断絶しました。そこでわたしが選んだバイトはパプ(当時はキャバクラなんて呼び方はなかった)のホステスでした。

何人かの彼との付き合いを経て、現在の夫である彼氏と出会いました。

さて、そんな生活をしていても宗教団体の人は訪問してきますし親もそのことばかり話題にします。

だから若い頃の私はあまり実家に寄り付きませんでした。

それから20年以上経過した現在。

いま、私と両親の関係はとても良くなりました。信仰に関しては脱会する気もないけど関わるつもりもない。あまり興味がないのでどうでもいい、といった感覚に。

これはとても楽です。

そして、このように関係が良くなった要因の一つに、私が病気になったこと、というのが挙げられると思いました。

初期の頃はひたすら祈れば治る!とますます活動にのめり込んでいった母ですが、最近はごく普通の信仰以外の話もたくさんしてくれるようになりました。父は病名すら知らないでしょうけど、若い頃に比べたら格段に話しやすくなっていて、今では映画と本の話で盛り上がったりします。

河合隼雄の「ファンタジーを読む」という本に、病は人の目を内面に向けさせる。病には意味がある、ということが書かれていますが本当にそうかもしれない、と思うようになってきました。

一見、損をしたように思えるかもしれないけれど、他の人から置いてきぼりにされたも思うかもしれないけど、人生全体の流れとして考えると得るところのほうが大である。と。

歳を重ねるごとに楽になっていく私。昨日新興宗教の人が訪ねてきたけどドアも開けずに塩対応。ナイスです。

このまま親とも妹弟とも良好な関係を保ちたい。でも信仰はやらない。これをしっかり守って毅然とした態度でいること。そう腹をくくったら目の前がパッと明るくなった日のことを思い出します。

なにはともあれ、人生は喜劇。どんなに悲惨な状況にあろうとどこかしら滑稽な様子があるでしょう。わたしは悲劇のヒロインになる必要はなかった。このままでいい。ただ、生きます。

 

カタリナでした。