記録の力

過去14年分のツイートと10年分のブログ記事を、時々読み返している。

「へぇ〜こんなことやってたんだ!」と、自分のことなのに新鮮な驚きがいっぱいなので楽しいのだが、楽しいだけでなくこの振り返りが心の平安に役立っていることに気がついた。

私の精神疾患は統合失調感情障害というのだけど、気分障害なのでアップダウンがある。(躁鬱の波)

過去の自分の記事を読むと、大雑把ながらもそのアップダウンを客観的に見ることが出来る。そして気づいたのだが、私のツイートは昔からほとんど内容は似たようなもので、日々のささやかな出来事をライフログとして記録していくスタイルなのでよくわかるのだが躁スイッチが入りそうになっている時とフラットな時は「たのすぃ〜」「ヒョッホーイ」などと言いながらテンション高く生活していて、鬱っぽい時は極端に無口になっている。(数ヶ月ほどTwitterから離れているうちにレイバンに乗っ取られてしまったこともある)

そのため鬱の時どんなふうに考えていたのか振り返ることが出来ないのが残念なのだが、私の鬱はほとんどが無気力無感動が症状として強く出るのでおそらく最低限の家事をこなして残りは寝て過ごしていたのだろう。(記録も記憶もないのであやふやだが)

こうやって過去10年くらいの浮き沈みを見ていくうちに、「すべては過ぎ去る」ということがよくわかってくる。なので、現時点での私は「今に入る」ことが1番の幸福なのだとわかってきた。

過去にも未来にも囚われず、今この瞬間、スマホの上を滑る指に任せて文章を打つ。これができている時は精神的に安定していて気分の波は凪いでいる。しばらくこれを続けているうちに、自分が無意識に操られるように行動してしまっている時と、しっかり意識的に生きている時の違いもよくわかるようになってくる。すると無意識に堕ちた時のリカバリも早いのだ。

この病気になってしまったのはもちろん残念な事だけれど、そこから得たものは大きい。私はもしかすると幸福になることしか出来ないのかもしれない。